ページ 1 / 1
この授業の疑問点や質問(3つの情報概念・人の意識)
Posted: 2018年6月06日(水) 15:58
by TadashiNakajima
「3つの情報概念・人の意識」の内容で疑問に思った点(よく理解できなかった点)や質問は何ですか。できるだけ具体的に書いてください。
何故、意識は必要なくなったのか?
Posted: 2018年6月06日(水) 16:07
by TadashiNakajima
何故、すべての生物に意識が存在していないのか?
人は、身の回りに多くの危険(車や殺人等)が潜んでいるため、意識は必要不可欠だが、自然の中は自分たちの生活しやすい環境で、天敵が少なければ一生を特にこれといった苦もなく送れるから意識が必要なくなってしまったのか?
R.Aさん
---------------------------------------------------
コメント有難うございます、R.Aさん
残念ですが質問の立て方が間違っています。意識はその必要性を失ったので存在しなくなったのではありません。もともと生物には意識は存在しないのです。これは生物学的に証明されています。本来存在しないものに、何故存在しないのか、という問いを立ててもまったくの無意味です。存在しないものに理由など有り得ません。
生物は意識がなくても生きてゆけるのに、意識が存在するようになったので、ここには何らかの理由があると考えられます。そこで、正しい質問は「何故生物に意識が存在するようになったのか」になります。
何でも疑問にすれば良いわけではありません。筋道の通った質問しなければ、言葉遊びをしているだけで、学問にはなり得ません。
担当教員より
爬虫類の脳があっても意識のない生物はいる?
Posted: 2018年6月06日(水) 16:18
by TadashiNakajima
爬虫類以上の脳があるのは意識があって爬虫類以下は意識がないと言っていましたがこの言い方だと爬虫類の脳があっても意識のない生物がいるというふうに感じました。爬虫類の脳があっても意識のない生物はいるのか疑問に思いました。
N.Tさん
---------------------------------------------
コメント有難うございます、N.Tさん
爬虫類を境に意識が出てきたことはほぼ間違いないようです。今のところ、爬虫類のどこかで意識が芽生えたことしか分かっていませんから、爬虫類以降の哺乳類や鳥類には間違いなく意識はあり、爬虫類以前の魚類や両生類には意識はない、という言い方をした訳です。したがって、爬虫類の中には意識がないものもいるでしょう(両生類に近い爬虫類など)。ただ、我々が想像するヘビ、トカゲ、カメなどの爬虫類はかなり進化が進んだ種類なので、意識はあると思われます。具体的に爬虫類のどれに意識があるか、ないかの研究はなされていないようです。
担当教員より
ミラータッチ共感覚者
Posted: 2018年6月07日(木) 11:30
by TadashiNakajima
他人の痛みを感じることは不可能だそうですが共感覚と言うものを持っている人においてはどうなるんでしょうか。ミラータッチ共感覚者は他人が痛みを感じたりすると自分のことのように感じてしまうそうですが...
T.Iさん
------------------------------------------------------
コメント有難うございます、T.Iさん
「ミラータッチ共感覚」というものをしりませんでした。勉強不足で申し訳ありません。そこで、少し調べてみました。
ウィキペディアによると「第三者が対象者に触れているのを見て自分が対象者に触れているのと同じ触覚が生じたり、第三者が対象者に触れられているのを見て自分が対象者に触れられているのと同じ触覚が生じたりする」と書いてありました。この文章からすると「限られた者(対象者)に対してアクションまたはリアクションがあったときに同じ触覚がある現象」と捉えることができます。なかなか面白いですね。特に感じるのが特定の人物である点など、心理学的に興味をそそられます。ただ、問題なのは「同じ触覚」というのは本当に「同じ触覚」なのか、という点です。つまり、"対象者が触る感覚"と"自分も触っていると感じる感覚"が本当に同じなのかをどう比較するのか、ということです。他人の感覚と自分の感覚を比較できない以上、「同じ触覚」とはとても言えないのではないでしょうか。
「ミラータッチ共感覚」は意識レベルの実験のようですが(被験者の主観観察)ですが、脳神経の研究からも面白い現象が発見されています。脳の活動状況を外部から測定(被験者の主観ではありません)で、「ミラーニューロン」というものがあることが分かっています。ある人が他人が何かの作業をしている時、同じ作業をするため脳の部位に活動が見られる現象です。これは類人猿でも確認されており、例えば右手に棍棒を持っている振り回している同種の猿を見た猿の脳には、見た猿と同じように右手の動作を司る部位が活動するのだそうです。人間でも同じ事が起こるそうですが、体験していない動作に関しては生じないことも分かっています。例えば、箸を使う人を見たときに、日頃から箸を使う人にはミラーニューロンが活動するが、箸を使ったことのない人には生じないそうです。ミラーニューロンは生まれながらなのか学習によって養われるのか、はたまた一部は先天的で、一部は後天的なのかはまだはっきりしておりませんが、いずれにしても共感を得る方法の一つとして興味深いところです。
「ミラータッチ共感覚」も「ミラーニューロン」も、他人の右肩に誰かが触ったとき、自分の右肩に何かの感触が生じることを示しています。その点を否定するつもりはまったくありません。しかし、それが「同じ感触」であるという証拠は全くありません。繰り返しますが、他人の感覚と自分の感覚を比べる方法がない限り、同じであるとは決して言えません。
最後にルートビッヒ・ウィトゲンシュタインが考えた命題を紹介しておきます。生まれつき赤が青に、青が赤に見える人がいたとします。この人は自分の視覚が他人と違うことを知るためにどんな方法があるでしょう。ちなみにその人は青を見せれば青と答えますし、赤を見せれば赤と答えます。是非考えてみてください。
担当教員より
カエルが動いていたら…
Posted: 2018年6月07日(木) 11:49
by TadashiNakajima
カエルの目には止まっているものがみえないという内容がありましたが、自分が動いていると周りの物も動いてみえるのでカエル自身も動いていれば本来は動いていないものもみえるのかが疑問に残りました。
R.Yさん
--------------------------------------------------------------------
コメント有難うございます、R.Yさん
面白い質問ですね。物理学的に言うと相対速度の問題ですね。これはあくまでも私の推論ですが、自分が動いても静止しているものは見えないのだと思います。カエルが跳ねる度に全てが見えるとするならば、常に飛び続けている方が生きる上で都合が良いでしょう。カエルが休まず運動していないところを見ると、おそらく相対速度でも止まっているものは見えないと考えられます。
視覚と言うのは錯視に限らず実に不思議です。例えば、文章を読んでいるときに視野の動きを思い出して下さい。文章を読むに連れて眼球は移動していきます。あたりまえのようですが、視覚はそうなっていません。本を読むときは、本は静止しています。視点が移動するのですから、通常は有り得ません。カメラで同じ事をすれば分かりますが、カメラの向きを変えると視野全体が動きます。ところが、我々が本を読むときに知覚するのは、視野全体は変わらず焦点だけが移動する、という状況です。このことから解るように、我々が見ている世界は脳が再構成した主観的なもので、再構成した方が何かと生きる上で都合が良いのでしょう。カエルの場合、相対速度が消されているという可能性は、マリオットの盲点が認識できないのと同じ理由で否定できないと思います。
担当教員より
反射と意識
Posted: 2018年6月07日(木) 12:43
by TadashiNakajima
蜂に刺された時は、情動→身体的な変化→感情の順で、理科の反射の時は、感覚器官→感覚神経→脊髄→運動神経→筋肉だが、その時の意識にたどりつくまでの時間は全て同じですか?
A.Kさん
--------------------------------------------------------
コメント有難うございます、A.kさん
脊髄反射は、情動→身体的な変化までを分解したものです。「感覚器官→感覚神経→脊髄」が情動の発生で「脊髄→運動神経→筋肉」が身体的な変化に相当します。脊髄反射を脳の一部(延髄や間脳)まで含めれば、感覚器官→感覚神経→情動の発生→運動神経→身体的な変化と表すことができるでしょう。脊髄で反射するのと延髄または間脳で反射するのでは物理的距離が違いますので、脊髄反射よりも延髄や間脳での反射の方が遅いと思います。その後の感情までの課程「身体的な変化→感情」は反射種類によって違いはないでしょう。
担当教員より
誤解は機械情報か?
Posted: 2018年6月07日(木) 12:55
by TadashiNakajima
ラインなどのSNSなどで言葉だけだと相手に誤解される場合がありますが、その誤解は情報が伝わらなかっただけなのか、機械情報として認識されたのどちらになるのでしょうか
T.Aさん
-------------------------------------
コメント有難うございます、T.Aさん
授業で説明した通り「理解」は有り得ません。したがって、どんな状態でもそれは「誤解」なのです。このことを考えれば機械情報なのかどうかは簡単に判断できると思います。如何でしょう。
担当教員より
意味が違うと別の情報か
Posted: 2018年6月07日(木) 15:06
by TadashiNakajima
その人にとって意味がないことでもほかの者にとっては意味のあることだったら、それはそれぞれ別の情報になるのか疑問に思った。
J.Uさん
------------------------------------------------
コメント有難うございます、J.Uさん
情報とは、意味作用を起こすもの(意味を構築させるもの)なので、どんな意味になるかまでは言及していません。どんな意味であろうが、意味を構築させることができれば情報になります。したがって、同じ情報だとしても、人によって(主観的に)違う意味が生じることになんら問題はありません。だから、情報により疑似的な相互理解が生じることに意味はあっても、情報をただ共有しても意味はないのです。ご質問のように「人によって違う意味が生じるから違う情報になる」という解釈はありません。
担当教員より
身体が先に動くことと脊髄反射とは同じか?
Posted: 2018年6月07日(木) 17:01
by TadashiNakajima
体が先に動いてしまうということは、反射のように脊髄から大脳へ向かう前に感覚神経に指示を出すということですか?
K.Kさん
---------------------------------------------------------------
コメント有難うございます、K.Kさん。
「脊髄から大脳へ向かう前」という表現が良く解りませんが、ダマシオやリベットの実験では脳が意識として命令を出す前に、運動を指示する命令が脳(運動野)から発信される、ということです。つまり、
意志決定→脳の運動野の活動→脳からの運動命令→身体が動く
ではなく
|→脳からの運動命令→身体が動く
脳の運動野の活動→|
|→意思決定
となっているということです。意思決定の0.2秒前に脳からの運動命令が発信されているので、意志決定の前に既に身体は動き始めていることになります。
担当教員より
運命は決まっている
Posted: 2018年6月07日(木) 17:30
by TadashiNakajima
人の意識より、体のほうが先に動くのなら、人は初めから決まったレールの上を走っているのでしょうか?
Y.Tさん
-----------------------------------------------------
コメント有難うございます、Y.Tさん
意識は後付けで、意思決定の0.2秒前には既に動き始めているとなると、私たちの自由意志はどうなるのかが非常に心配になります。ベンジャミン・リベットも自分の実験結果から自由意志が否定され、運命論になってしまうことに悩みました。科学者として自分の実験結果を否定することはできず、さりとて人間の自由が虚像であることを認めることもできず、そうとう苦しんだそうです(理系でもあり文系でもある科学者の態度ですね)。結論としベンジャミン・リベットが辿り着いた結論は、「意思決定の前に動き出したことも、0.2秒後には意志により止めることができる」というものでした。意志に関係なく人殺しを始めても0.2秒後に意志で止められる、ということです。0.2秒後に止める意志があることで、自由意志の存在を確保しようとしたわけです。これが、かなり苦しい論理・理屈であることは言うまでもありません。でも、リベットはここまでしか考えられませんでした。その後、色々な人がこの問題について考えており、アントニオ・ダマシオも非常に面白い結論(かなり説得力のある結論)を出しています。さて、あなたはこの問題をどう考え、どう結論するのでしょうか。考えてみてください。
担当教員より
後付けで感情を表に出す?
Posted: 2018年6月08日(金) 08:07
by TadashiNakajima
感情を表に出すことは怖かったり不安なこともあるのになぜ後付けで出してしまうのか。
N.Mさん
-----------------------------------------------------------
コメント有難うございます、N.Mさん
残念ですが大きな誤解をしておられるようです。授業では「身体が先に動く」と説明しました。つまり、感情よりも先に表情が表れる、ということです。したがって、後付けなのは感情であり、表情が先にあるのです。
担当教員より