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疑問点や質問(階層的自律コミュニケーションシステム2020)

Posted: 2021年1月22日(金) 18:43
by TadashiNakajima
疑問点や質問(階層的自律コミュニケーションシステム2020)についてのスレッド

私は生徒の階層に属しているけれど、クラスにも属している?

Posted: 2021年1月22日(金) 18:43
by TadashiNakajima
・「多細胞生物における階層性」のスライドで、上位層と構造的カップリングをし、下位層を見ている観察者とあるが、この観察者は下位層とも構造的カップリングをすることは出来るのか。また、下位層と構造的カップリングが出来たとして、その下位層からみた「外界」との関係は、単に構造的カップリングをしているだけに見えるのか(非対称な構造的カップリングとして捉えることはできるのか)。
・「多細胞生物における階層性」のスライドで、非対称な構造的カップリングの具体的な状況(どのような状態)なのか。
・外界からの拘束/制約がない生物は存在するのか。
・「HACS」のスライドで、私は生徒の階層に属しているけれど、クラスにも属しているので、私が属する階層が変化してしまう。これは、階層と階層との「非対称な構造的カップリング」が崩れてしまっているのではないか。
・今回の内容の授業を受けた人間、又は今回の授業内容と同じ思考を持つ人間以外に、システムの上下の階層が非対称な構造的カップリングをしている、と考えられる人間は存在すると思うのか(先生の考え)。

K.Fさん

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 コメントありがとうございます、K.Fさん。しかも沢山…

 まず、4番目の質問にお答えします。社会システムの構成素は人ではなくコミュニケーションであることをお忘れのようです。つまり、HACSの中に人は存在しません。なので、あなたが生徒の階層に属しつつクラスにも属する、ということは絶対にありません。あなたが頭の中で妄想しているだけの思考はHACSの最下層に存在しています。あなたが自分の思考の中からクラスでのコミュニケーションに相応しいと考え、社会情報として発した(発言や記録)がクラスの層の属することになるのです。

 私へのリクエストになっている5番目の質問の答えは、「存在する可能性はある」です。私の授業は、全て私が自力で構築したものではありません。基礎情報学を創設した人(東京大学名誉教授西垣通先生)からの教えです。西垣先生はほぼ一人で基礎情報学を構築されていますので、自力で考えついた人が存在したことは間違いありません。ただ、誰でもが容易く考えつくとは思えません。なぜなら、教えてあげたとしても、身に付く人は少ないからです。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より

学校におけるコミュニケーションはアロポイエティックシステ厶?

Posted: 2021年1月22日(金) 18:44
by TadashiNakajima
 社会システムの階層性について、HACSになっていますが生徒やクラスにおけるコミュニケーションは色んなコミュニケーションがあるからそこまではhacsになっていることは理解できます。しかし、学校におけるコミュニケーションは、学校とは学ぶべきものを学びに来ているだけなので、どこの学校でも普通科とかが同じならば同じ内容を学んでいるわけで、オートポイエティックシステムだと、考えているからそれぞれが違う授業をしているみたいな意味合いになってしまうと思います。だから学校におけるコミュニケーションは、アロポイエティックシステ厶では無いのでしょうか?

S.Aさん

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 コメントありがとうございます、S.Aさん。

 それはまったく違います。確かに、授業で教員から生徒に伝達すべき知識(社会情報)は決められています。だからと言ってコミュニケーションが同じになることはありません。また逆に、コミュニケーションが違っていても、伝達すべき知識(社会情報)が同じになることもあります。つまり、コミュニケーションで使われている社会情報と、社会システムとは完全に一致しません。さらに「違う授業だからオートポイエティック・システムである」という結論はどこから出てきているのでしょう。授業の内容と、その授業がオートポイエティック・システムかどうかも繋がりがありません。残念ですが、論理的に繋がりのないことをつなぎ合わせて、質問にしているだけのようです。もう一度、オートポイエティック・システムの定義に戻って考えてみてください。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より

お互い構造的カップリングしている同等な関係は?

Posted: 2021年1月22日(金) 18:46
by TadashiNakajima
 構造的カップリングをしているがほかの目線などから見たら拘束関係にあることを非対称な構造的カップリングと、呼びますが、蜂の巣は外界という上の階層があると考えれば下の階層であって、拘束を受けてるように見えます。このように考えるとお互い構造的カップリングしている同等な関係は存在しないように思いますが拘束のようにならない場合というのはどのような時ですか?

R.Mさん

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 コメントありがとうございます、R.Mさん。

 構造的カップリングは「外界とオートポイエティック・システムとの間」又は「オートポイエティック・システム同士」で生じます。DVDであったように、階層的自律コミュニケーション・システムの階層間は「外界とオートポイエティック・システムとの間」と同じ関係になっています。この場合は上位層は下位層へ拘束/制約しか行いません。つまり、下位層は上位層を拘束/制約しないのです。一方、「オートポイエティック・システム同士」の構造的カップリングの場合は、互いに拘束/制約を掛け合っています。ポイントは一方的ではなく高いに拘束/制約しているところです。私的コミュニケーションのときにお話したはずですが、対等な友人関係は構造的カップリングで、互いに拘束/制約を行っています。その拘束とは、テーマ(成果メディア)の選別でした。サッカー部の生徒と野球部の生徒が会話(コミュニケーション)するとき、サッカー部の生徒も野球の話を、逆に野球部の生徒もサッカーの話をする必要が出てきます。コミュニケーションをする相手によってテーマを選別するという拘束/制約があるのです。逆に、このような拘束/制約がないとすると互いにバラバラなテーマで話し出すのでコミュニケーションになりません。つまり、友人関係にならないことになります。当然、恋人同士も、夫婦の間でも拘束/制約はあります。拘束/制約という言葉に人間関係における上下関係はありません。ここを取り違えるとこのような質問になってしまうのです。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より

ハチが拘束・制約を受けている…それは客観ではなく主観では?

Posted: 2021年1月22日(金) 18:50
by TadashiNakajima
 生物は外界に適応できないがゆえに構造的カップリングをしていることはわかりました。客観的観察者である人間から見るとハチが六角形の巣を作らされている=ハチは拘束・制約を受けているというように思えます。しかしハチが拘束・制約を受けていると思う時点でそれは客観ではなく主観になるのではないでしょうか。

S.Aさん

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 コメントありがとうございます、S.Aさん。

 「ハチが拘束・制約を受けていると思う時点でそれは客観ではなく主観になる」は間違っていません。問題は、それが誰の主観なのか?ということです。蜂は拘束/制約を受けていることは知りません。これは蜂の主観です。一方、観察者からは拘束/制約を受けていると受け取ります。これは観察者の主観です。蜂の主観は観察される側の主観であり、観察者の主観は観察する側の主観です。そして観察する側の主観は、客観的な主観となります。もう一度、客観性と現実-像をご確認ください。

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担当教員より

食物連鎖は非対称な構造的カップリング?

Posted: 2021年1月22日(金) 18:50
by TadashiNakajima
 生物の生態系は、食べる、食べられるの関係になっており、食物連鎖の上にいる生物は食べたことがある生物だから食べるが、食べられる生物は食べられなくても食べられないといけないという、食物連鎖の拘束、制約を受けていると思います。これは、非対称な構造的カップリングになっていますか。

Y.Sさん

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 コメントありがとうございます、Y.Sさん。

 端的にお答えします。それは全く違います。食物連鎖は物質的エネルギー的な関係です。一方、非対称な構造的カップリングはオートポイエティック・システム間の関係を示すものです。植物連鎖は食べられる↔食べるという関係ですが、多細胞生物における細胞と臓器はシステムとして持続することを目指しています。細胞が臓器に食べられたりすることはありませんので全く違う概念です。

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担当教員より

言葉を知らない外国人にはコミュニケーションの拘束/制約はない?

Posted: 2021年1月22日(金) 18:53
by TadashiNakajima
 人はみんな心的システムはオートポイエティックシステムであり、何を考えるのかは自由で自律的と言うけれど、前にテレビで言葉を知らない海外の人は自分の考えを言えないのでコミュニケーションの拘束/制約は何もかかっていないし、構造的カップリングをしていないということなのか。

S.Sさん

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 コメントありがとうございます、Y.Sさん。

 日本語に多少問題のある質問なので、後半部のみにお答えします。ある言語を使う社会の中で、その言語を使うことが出来ない人は、その言語圏のコミュニケーションの拘束/制約はかけられていないと考えることはある程度合っています。その人はその言語と構造的カップリングをしていないので、そのコミュニケーションに参加することは出来ません。知らない言葉の国に行くことを想定するば十分ですね。だからといって、その人が何も考えることが出来ない訳ではありません。その人の知っている言語で考えることは可能だからです。

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担当教員より

意欲的に学ぼうとすることも拘束/制約か?

Posted: 2021年1月22日(金) 18:54
by TadashiNakajima
 コミニュケーションからの拘束や制約は小さい時からのコミニュケーションが関わっている。日本人は日本語アメリカ人は英語のような拘束、制約がかかっている。なら日本人の学生が授業で強制的に学ぶ英語と意欲的に学ぼうとするのはどちらも拘束、制約にかかっているのだろうか。

H.Hさん

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 コメントありがとうございます、H.Hさん。

 はい、その通りです。意欲的に英語を学ぶ人は、なぜ意欲的に英語を学ぼうとするのでしょうか。将来の仕事のため。英語圏の人と仲良くしたいため…。色々あるでしょうが、全てコミュニケーションからの拘束/影響ですね。英語が仕事に役立つこと、英語圏の人と交流するために英語が必要なことは、現在の日本社会における常識です。つまり、拘束/制約です。「サッカー選手になりたい」も同じ。プロの有名サッカー選手になると金も名誉も得ることがができることは、現在の日本社会における常識だからです。

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担当教員より

非対称な構造的カップリングはその下や上にずっと続くものなのか?

Posted: 2021年1月22日(金) 18:58
by TadashiNakajima
 学校の階層的自律コミュニケーション・システムのところで学校も多細胞生物のように非対称な構造的カップリングがありますが、それはその下や上にずっと続くものなのですか。またクラスの下の友達という分類でも非対称な構造的カップリングがありますか

M.Mさん

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 コメントありがとうございます、M.Mさん。

 ずっとは続かないでしょう。社会システムは有限ですので、無限的な要素はないと考えるのが理論的と思います。「また」以降の質問は先のR.Mさんへのコメント見てください。

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担当教員より

自分の立場をそのシステムから意識して離し、客観的に見て判断することが大事

Posted: 2021年1月22日(金) 18:59
by TadashiNakajima
 ひとつ、また複数のオートポイエティックシステムが構成する階層的自律コミュニケーション・システムについて考えたり、判断したりする時は、自分の立場をそのシステムから意識して離し、客観的に見て判断することが大事、と解釈していいのでしょうか。

K.Nさん

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 コメントありがとうございます、K.Nさん。

 その通りです。人間には卓越した想像力があります。その想像力によって意識して外部からの視点(客観的視点)を考えることができるのです。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より

社会システムの最上位にあるものには非対称な構造的カップリングはない?

Posted: 2021年1月22日(金) 19:00
by TadashiNakajima
 社会システムとの間には必ず非対称な構造的カップリングが存在しているとありましたが、社会システムの最上位にあるものは拘束/制約がかからず、構造的カップリングも存在しないので、非対称な構造的カップリングは存在しないのではないかと思います。

Y.Sさん

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 コメントありがとうございます、Y.Sさん。

 いいえ違います。非対称な構造的カップリングは階層的自律コミュニケーション・システムの階層間に存在します。各階層に存在するのではありません。社会システムの最上位層も下位層との接地面があります。ここに非対称な構造的カップリングが存在することになります。

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担当教員より

クラスの話し合いでの発言はロポイエティックシステム?それともオートポイエティックシステム?

Posted: 2021年1月22日(金) 19:01
by TadashiNakajima
 例えば、文化祭のことや体育祭のことでクラスの中で話し合いがあるとして、文化祭や体育祭のことを話さないといけないというのはアロポイエティックシステムに入るんですか?また、その中で意見を出すのはオートポイエティックシステムなんですか?

M.Kさん

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 コメントありがとうございます、M.Kさん。

 発言という言葉には人という要素が入ってしまうので、社会システム論としては良くない質問です。でもまあ、コミュニケーション内の社会情報という意味でお答えしましょう。観察者の視点(観察者がどのレベルで構造的カップリングをしたか)によって異なります。話し合いのレベルで観察している者からは、下層から提供されるコミュニケーションはオートポイエティック・システムから出てきているよう捉えられます。なぜなら、クラスでの話し合いのために社会情報を発しているように見えるからです。一方、心的システムのレベルで観察している者からは、良く分からないけれど沢山ある思考の中から自己観察が一つを選んで社会情報にしているように見えますので、オートポイエティック・システムと捉えられるでしょう。このとき、自己観察が選ぶ思考に偏りがあることが観察されますが、これが再現性であり構造的カップリングということになります。よろしいでしょうか。

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担当教員より

同調圧力は拘束/制約か?

Posted: 2021年1月22日(金) 19:01
by TadashiNakajima
 例えば、大多数の意見が優先され、少数意見が反対される社会システムがあったとして自分がそこにいて少数意見の方になったら同調圧力によって意見を変えるけれども、それは意見を変えなければいけないという拘束/制約をうけているのか。

R.Oさん

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 コメントありがとうございます、R.Oさん。

 あれ、R.Oさんは同調圧力に屈してしまうのですか。それは非常に残念ですね。質問の答えは当然 Yes です。ちなみに同調圧力に負けずに意見を変えない、というのもの拘束/制約です。誰が何と言おうともそれが正しいと突き通せば「学問システム」からの、同調しないことで金銭が入るのならば「経済システム」からの、世界を敵に回しても恋人の味方になろうとすれば「家族友人システム」からの拘束/制約となるのです。

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担当教員より

拘束/制約と構造的カップリングはどっちが先?

Posted: 2021年1月22日(金) 19:02
by TadashiNakajima
 階層的自律コミュニケーション・システムのところで、構造的カップリングを起こすと上位層から拘束や制約がかけられるのか、上位層から拘束や制約をかけられると構造的カップリングを起こすのかどっちが先なのかがよくわからなかった。

A.Tさん

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 コメントありがとうございます、A.Tさん。

 答えは簡単で、同時です。非対称な構造的カップリングにおいて上位層からの拘束/制約と下位層からの構造的カップリングは裏表の関係です。片方が生じたら、同時にもう一方も生じる。なので、どっちが先ということはありません。ただ、個々の心的システムからすれば、上位層からの拘束/制約が先とも考えられます。個人よりも社会のほうが歴史が長く、出来上がっている社会に個人が参加すると考えると拘束/制約が先で心的システムの構造的カップリングが後になるでしょう。これは学校での教育を考えればよくわかることだと思います。しかし、下位層全体として同時、歴史的にもフラットな一層から上位層が出現した瞬間は同時であった考えるのが妥当でしょう。アメリカの社会心理学、哲学者、思想史家でもあるジョージ・ハーバート・ミードは「社会が形成されるのと言語の出現は同時である」と分析しています。社会が形成=上位層の形成ですし、言語=拘束/制約ですから。

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担当教員より

ハラスメント対策

Posted: 2021年1月22日(金) 19:03
by TadashiNakajima
 上からの拘束/制約をかけていることは理解したのですが、ハラスメント対策で下の者が上に縛りを書けるように多細えに胞生物の中でも下のものから上に拘束/制約をかけることはありますか?

T.Iさん

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 コメントありがとうございます、T.Iさん。

 まずハラスメントは人間関係の上下関係上の問題であり、社会システムは関係ありません。なので、この質問は完全に的を外しています。以上、では面白くないのでもう少しコメントします。各種ハラスメント対策は個人が行うものではありません。法律として施行され、また裁判所等で認められなくてはなりません。つまり、ハラスメント対策は「法システム」からの拘束/制約であり、個々の人間同士の上下関係はまったく関係がないのです。

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担当教員より

体内の細胞や組織に拘束/制約をかけているのは脳?

Posted: 2021年1月22日(金) 19:04
by TadashiNakajima
 脳から指示を受け取った人間がその指示に従って行動している時、体内の細胞や組織に、拘束/制約をかけているのは脳なのか疑問に思った。脳に対して自ら拘束/制約をかけているものは無いのか。

S.Iさん

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 コメントありがとうございます、S.Iさん。

 有ります。それは他の臓器です。脳が司令塔とし身体全体をコントロールしている、という考え方は我々にとって馴染み深いものです。しかし、現代医学はそれを否定しています。最先端の医学では、身体の各臓器が互いに司令物質を放出し、連絡し合うというネットワークを形成していることが判明しています。つまり、脳も他の臓器によりコントロールされているのです。このことは、現存する脳のない動物(原始的なクラゲなど)を考えてみればごく当たり前のことです。進化の過程で生物は脳を獲得しました。脳が有るのと無いのでは、有る方が優位なことは間違いありません。だからと言って、脳がすべてをコントロールしていると考えることには飛躍が有るのです。AIの目的は、人間の脳と同じ機能を持たせることです。しかし、脳も他の臓器からコントーロルを受けているという医学上の発見を考えると、脳の機能を持たせるには他の臓器も必要となることになります。この点からも、現在のAI研究の進歩だけでは人間を超えるどころか、人間と同等になることすらも無理であることになります。

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担当教員より

間や思考は社会システムの部分ではなく、社会システムの環境ではないのか?

Posted: 2021年1月22日(金) 19:05
by TadashiNakajima
 社会システムの最下層、心的システムは上位層と構造的カップリングをしているのならば、人間や思考は社会システムの部分ではなく、社会システムの環境となると思うのですが、どうですか。

K.Yさん

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 コメントありがとうございます、K.Yさん。

 それは違います。まず、人間と思考は同列ではありません。また、階層構造でお話した通り、もし環境と捉えるのならばそれは下位層ではなく、むしろ上位層がそれに該当します。比喩的正確ではありませんが、「個々の人間の心的システムは、その人間が属する社会システムという環境の中にいる」ということもできます。なので「人は生まれ育った環境に左右される」と言われている訳です。仮に、思考が環境であるとすると、環境でない社会システムの中には何があるのでしょうか?思考はシステムの外に存在するので、社会システムには思考も社会情報もコミュニケーションも存在しないことになります。え、思考を取り込めばいいって。残念でした社会システムはオートポイエティック・システムで閉鎖系なので何かを取り込むことはできません。あしからず。

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担当教員より

外界て何?

Posted: 2021年1月22日(金) 19:05
by TadashiNakajima
 授業資料3枚目は外界と生物との創造的カップリングと言う内容でしたが、この資料の中に出てくる外界というのは具体的にはどのようなモノを指しているのかとても気になりました。

Y.Nさん

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 コメントありがとうございます、Y.Nさん。

 なかなか良い着眼点です。端的に言うと「外界=客観世界」です。あらゆる生物は客観世界を認識できません。認識できるのはその生物が主観的に知覚できる範囲までです。つまり、環境とは生物が主観的に近くできる外界、構造低カップリングで認識できる外界の一部になります。人間で考えると「環境=疑似客観世界」になります。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より

個人の考えが上位層を拘束制約する?

Posted: 2021年1月22日(金) 19:06
by TadashiNakajima
 社会システムで学校の場合個人の考えがクラスに反映することができその考えがクラスのルールになった場合その個人の考えがクラスに拘束制約をもたらすのかが気になった。

H.Oさん

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 コメントありがとうございます、Y.Nさん。

 答えは No です。おっしゃる通り、個人の意見で上位層のルールが決まることは有ります。なので個人の考えが上位層を拘束/成約したように見えます。それは、上位層でそれをルールとして認める、という過程を無視しているからに過ぎません。個人がどんなに素晴らしい意見を出したとしても、それが必ず採用されると限りません。逆に、どんな陳腐な意見だとしても、採用されればルールとなります(ん〜、色々と身近にあるような気が…)。また、ルールとして採用されれば、意見を出した人もそのルールに拘束/制約されることになります。これは先のハラスメントを取り上げたT.Iさんへのコメント同じ結論になるのです。

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担当教員より

リーダーのいない組織のホラクラシー

Posted: 2021年1月22日(金) 19:07
by TadashiNakajima
 今回の授業の疑問点はニュースでリーダーのいない組織のホラクラシーという組織がありますがその時は階層的自律コミュニケーションシスは成り立つのですか?

K.Kさん

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 コメントありがとうございます、K.Kさん。

 ホラクラシーという組織がどの程度階層構造を壊しているのかを知りませんでなんとも言えません。すべてのケースにおいてそれが上手くゆくのかも疑問です。嘗てのギリシャでは直接民主主義でしたので、その範疇の中では階層構造は殆どなかったかもしれません。だとしてもそのギリシャでは奴隷制はありましたし、性的な差別も平気でありましたが。仮に、完全に階層性を排除したホラクラシー組織があったとしましょう。そのときそのホラクラシー組織だけを観察すれば階層性がないので階層的自律コミュニケーション・システムは成り立たないかもしれません。しかし、階層的自律コミュニケーション・システムは個々の社会システムを観察するためのものではなく、社会全体を観察するための理論です。ホラクラシー組織だとしても外部社会との接点が有る限り階層的自律コミュニケーション・システムから逃れることは出来ません。ホララクラシー組織も上位層の「法システム」や「経済システム」からの拘束/制約を受けますし、組織員による意見は下位層の心的システム集合体から構成されています。なりより、言語による拘束制約を受けざるを得ません。え、独自の言語でコミュニケーションしているから大丈夫ですって。残念ですが、それも独自の言語を使わなくてはならないという拘束/制約ですよ。さらに、その場合はホララクラシー組織内に階層構造がありますので、ホララクラシー組織ではないことになります。ん〜実に面白い!

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より