疑問点や質問(メディア2019)
モデレータ: TadashiNakajima
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
コミュニケーションの意味?
コミュニケーションの意味を調べてみたら、気持・意見などを、言葉などを通じて相手に伝えること。通じ合い。と出てきました。ですが、通じ合いが疑似的であっても、コミュニケーションとして成立してしまうのが不思議だなと思いました。通じ合っていることは通じ合っているけれど、その通じ合いが疑似的なものでも通じ合っていることになるのか気になりました。
M.Yさん
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コメントありがとうございます、M.Yさん
コミュニケーションの意味をお調べなったようですが、何を利用なされたのでしょうか。また、その記述に学問的な裏付けがあるのでしょうか。私が授業で説明しているコミュニケーションは社会情報学という学問上の裏付けが有り、日本の学者が揃う「日本学術会議」においても認められたものです。一般的な日本語は実はかなり曖昧です。コミュニケーションもそうですが、情報もそうでした。単語意味が曖昧なので、コミュニケーション能力などと言う得体の分からない造語まで出てきてしまうのです。まずは用語の意味を正しく把握しましょう。
「通じ合っていることは通じ合っているけれど、その通じ合いが疑似的なものでも通じ合っていることになる」とありますが、かなり矛盾した日本語になっているようです。客観的に通じ合うこと不可能です。しかし、通じ合ったと主観的に思う可能です。互いが通じ合ったと主観的に思っている状態が、疑似的な相互理解になります。ご確認下さい。
これからも面白いコメントお待ちしています。
担当教員より
M.Yさん
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コメントありがとうございます、M.Yさん
コミュニケーションの意味をお調べなったようですが、何を利用なされたのでしょうか。また、その記述に学問的な裏付けがあるのでしょうか。私が授業で説明しているコミュニケーションは社会情報学という学問上の裏付けが有り、日本の学者が揃う「日本学術会議」においても認められたものです。一般的な日本語は実はかなり曖昧です。コミュニケーションもそうですが、情報もそうでした。単語意味が曖昧なので、コミュニケーション能力などと言う得体の分からない造語まで出てきてしまうのです。まずは用語の意味を正しく把握しましょう。
「通じ合っていることは通じ合っているけれど、その通じ合いが疑似的なものでも通じ合っていることになる」とありますが、かなり矛盾した日本語になっているようです。客観的に通じ合うこと不可能です。しかし、通じ合ったと主観的に思う可能です。互いが通じ合ったと主観的に思っている状態が、疑似的な相互理解になります。ご確認下さい。
これからも面白いコメントお待ちしています。
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
質問!
〇話が通じていないとき、それはコミュニケーションになるのか。
〇人間の会話では疑似的な相互理解により対立が起きても解決することができるが、いつまで経っても解決しない対立などは疑似的な相互理解がいつまでもできていないということになるのかどうか。
S.Iさん
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コメントありがとうございます、S.Iさん
なかなか挑戦的な質問で嬉しくなります。お答えしましょう。
◯話が通じていないとき、それはコミュニケーションになるのか。
話が通じていないときとはどういう状況を指しているのかが解りません。何故なら、話が通ずることは不可能だからです(情報により意味内容は伝達しない)。もし「話が通じていない」ということを「互いに疑似的な相互理解が生じていない状態」である仮定すると、その答えは「コミュニケーションではない」ということになります。何故なら疑似的な相互理解が生じていて、メッセージ交換がある程度持続していることがコミュニケーションだからです。もし、疑似的な相互理解がないままメッセージ交換が持続しているならば、それはコンタクトになります。
〇人間の会話では疑似的な相互理解により対立が起きても解決することができるが、いつまで経っても解決しない対立などは疑似的な相互理解がいつまでもできていないということになるのかどうか。
まず、必ず疑似的な相互理解で全てが解決できる、と説明をしていないことを確認しておきます。解決する可能性があるという意味で「希望」という説明をしました。ご質問の解決しない対立があるとすれば、希望が実現されていないので、疑似的な相互理解は生じていない、というあなたの結論は正しいと思います。
これからも面白いコメントお待ちしています。
担当教員より
〇人間の会話では疑似的な相互理解により対立が起きても解決することができるが、いつまで経っても解決しない対立などは疑似的な相互理解がいつまでもできていないということになるのかどうか。
S.Iさん
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コメントありがとうございます、S.Iさん
なかなか挑戦的な質問で嬉しくなります。お答えしましょう。
◯話が通じていないとき、それはコミュニケーションになるのか。
話が通じていないときとはどういう状況を指しているのかが解りません。何故なら、話が通ずることは不可能だからです(情報により意味内容は伝達しない)。もし「話が通じていない」ということを「互いに疑似的な相互理解が生じていない状態」である仮定すると、その答えは「コミュニケーションではない」ということになります。何故なら疑似的な相互理解が生じていて、メッセージ交換がある程度持続していることがコミュニケーションだからです。もし、疑似的な相互理解がないままメッセージ交換が持続しているならば、それはコンタクトになります。
〇人間の会話では疑似的な相互理解により対立が起きても解決することができるが、いつまで経っても解決しない対立などは疑似的な相互理解がいつまでもできていないということになるのかどうか。
まず、必ず疑似的な相互理解で全てが解決できる、と説明をしていないことを確認しておきます。解決する可能性があるという意味で「希望」という説明をしました。ご質問の解決しない対立があるとすれば、希望が実現されていないので、疑似的な相互理解は生じていない、というあなたの結論は正しいと思います。
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担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
愛は感情?
アルノルト・ゲーデンが「やがて感情がテーマとなる。」と、言っていると学んだけれど現代社会を成果メディアによって五つに分化したときの中に入っている「愛」も感情の一つだと思い、疑問に思いました。
H.Kさん
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コメントありがとうございます、H.Kさん
愛は感情ではありません。感情とは「喜怒哀楽」を差し、爬虫類から存在するもの、つまり意識の根源に当たるものとされます。愛により「喜怒哀楽」は生じますが、「喜怒哀楽」から直接愛は生じません。
これからも面白いコメントお待ちしています。
担当教員より
H.Kさん
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コメントありがとうございます、H.Kさん
愛は感情ではありません。感情とは「喜怒哀楽」を差し、爬虫類から存在するもの、つまり意識の根源に当たるものとされます。愛により「喜怒哀楽」は生じますが、「喜怒哀楽」から直接愛は生じません。
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担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
コンタクトとコミュニケーションの見極め
コミュニケーションとコミュニケーション能力と成果メディアによるコッミットメントが頭の中で混ざってしまった。コンタクトとコミュニケーションの見極め方がよくわからなかった。
M.Hさん
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コメントありがとうございます、M.Hさん
コミュニケーションの当事者以外の第三者が観察し、コミュニケーションの当事者どうしに疑似的な相互理解があると判断すればコミュニケーション。疑似的な相互理解がないと判断すればコンタクトとなりますです。まあ、問題は観察者が何をもって疑似的な相互理解があるかどうかを判断しているかは、その場その時の状況によって違ってきますので、これの見極めは何とも言えないですね。
これからも面白いコメントお待ちしています。
担当教員より
M.Hさん
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コメントありがとうございます、M.Hさん
コミュニケーションの当事者以外の第三者が観察し、コミュニケーションの当事者どうしに疑似的な相互理解があると判断すればコミュニケーション。疑似的な相互理解がないと判断すればコンタクトとなりますです。まあ、問題は観察者が何をもって疑似的な相互理解があるかどうかを判断しているかは、その場その時の状況によって違ってきますので、これの見極めは何とも言えないですね。
これからも面白いコメントお待ちしています。
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
観察者の主観でいいのか?
コミュニケーションを成立したとするのが観察者の主観なら、観察者が成立していないと思ってもそれは観察者の主観でしかないのではないのか。
K.Sさん
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コメントありがとうございます、K.Sさん
その通りです。我々は客観世界を認識できません。だから、どこまで行っても主観から逃れることはできません。しかも、全ての現象を社会情報に変換できるのは人間の主観しかありませんので、主観であっても問題はありません。逆に主観を否定してしまうと何も無くなってしまいます。ただ、一つ問題なのはその主観が出した結論が擬似客観世界と矛盾してはならない、ということです。主観で良いと言うと恣意的(好き勝手)でも良い、と捉えがちですがそうではありません。主観と言えども制約が掛けられていて勝手に意味を構築することはできません。ここで主観に制限を掛けているものが何であるかはお分かりになるでしょう。そう、それこそが成果メディアなのです。
これからも面白いコメントお待ちしています。
担当教員より
K.Sさん
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コメントありがとうございます、K.Sさん
その通りです。我々は客観世界を認識できません。だから、どこまで行っても主観から逃れることはできません。しかも、全ての現象を社会情報に変換できるのは人間の主観しかありませんので、主観であっても問題はありません。逆に主観を否定してしまうと何も無くなってしまいます。ただ、一つ問題なのはその主観が出した結論が擬似客観世界と矛盾してはならない、ということです。主観で良いと言うと恣意的(好き勝手)でも良い、と捉えがちですがそうではありません。主観と言えども制約が掛けられていて勝手に意味を構築することはできません。ここで主観に制限を掛けているものが何であるかはお分かりになるでしょう。そう、それこそが成果メディアなのです。
これからも面白いコメントお待ちしています。
担当教員より