「現実-像と客観性」の授業で感じた疑問点や質問
モデレータ: TadashiNakajima
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
「現実-像と客観性」の授業で感じた疑問点や質問
「現実-像と客観性」の授業で感じた疑問点や質問についてのスレッド
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
「まれ」はたくさんある?
現実-像が人により異なるというが異なるのならばどうして世の中は上手くまわっているのか、まれにコミュニケーションが生じるのはわかるのですが、あくまで「まれ」なのでよく仕事で成功したりしている人をテレビなどでききますが「まれ」でもたくさんいるといういことになります。これはコミュニケーション能力に関係しているのかということです。
Y.Mさん
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コメントありがとうございます、Y.Mさん
「まれ」がたくさんあるとのご指摘ですが、「まれ」とは確率の問題なので総数の問題ではないことを確認しておきます。例えば、成功総数が100件あった場合、トライした件数が200だとしたら確率は50%で「まれ」とは言わないですが、トライ件数が1,000,000回だったら確率は0.01%で「まれ」に近くなります。さて、マスメディアで成功者を紹介しているとのことですが、紹介された人と同じ分野で成功しなかった人はどのくらいいるのでしょうか。また、成功しなかった人はどのくらいの回数成功しようとトライしたのでしょうか。おそらく想像するのも困難なぐらい多くの人が膨大な回数トライしていることでしょう。とすれば、成功者の例は「まれ」だということになりませんか。逆に「まれ」だからマスコミが紹介するのはないでしょうか。Only Oneのただの人はあまり日の目を見ないですから(笑)。
もう一つ、成功する実在にも分野とレベルがあることを加えておきましょう。分野とは成果メディアのことなので説明する必要はないでしょう。レベルについても難しくはないですね。例えば、真理の成果メディアの一種である「数学」を考えてみましょう。整数の足し算の方法(1+1の計算ができる)はレベルが低いですが、足し算の証明(1+1=2の証明)は無茶苦茶レベルが高く、足し算の方法は常識ですがその証明はとても常識とはいえません。ここで、レベルの高低とその分量の大小を考えてみましょう。これも難しくありませんね。小学生で習う算数の分野に比べ、中学校、高校の数学は分量が増え、さらに大学の数学科ではさらに分量が増えてゆきます。さらに、数学者が日々研究することで新しい数学の分野も付け加わりつつあります。このことから、レベルが低いことは全体から見ると少量であることが分かります。確率的にいえば、全体から見るとレベルの低い実在は「まれ」ということになります。
以上のことを踏まえて、世の中が回っていること分析すると「世の中を回すにはレベルの低い実在に対するコミュニケーションさえ成立すれば良い」ということになるでしょうか。各成果メディアごとにレベルの低い「まれ」な事柄を集め、その「まれ」なことだけにコミュニケーションが成立し、世の中が回っていることになります。事実、義務教育は世の中が回ることを大きな目標として構成されています。高校の数学の知識がなくても何とか生きてゆけることは事実。だからこそ数学のない文系を選択できる訳ですね。
最後の気になることをもう一つ。「世の中が上手く回っている」と表現なされていますが、「上手く回っている」とは何を根拠にしておられるのでしょうか。私の感覚では「上手く」ではなく「とりあえず」とか「無理に」という表現が一致するのですが、如何でしょう。
担当教員より
Y.Mさん
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コメントありがとうございます、Y.Mさん
「まれ」がたくさんあるとのご指摘ですが、「まれ」とは確率の問題なので総数の問題ではないことを確認しておきます。例えば、成功総数が100件あった場合、トライした件数が200だとしたら確率は50%で「まれ」とは言わないですが、トライ件数が1,000,000回だったら確率は0.01%で「まれ」に近くなります。さて、マスメディアで成功者を紹介しているとのことですが、紹介された人と同じ分野で成功しなかった人はどのくらいいるのでしょうか。また、成功しなかった人はどのくらいの回数成功しようとトライしたのでしょうか。おそらく想像するのも困難なぐらい多くの人が膨大な回数トライしていることでしょう。とすれば、成功者の例は「まれ」だということになりませんか。逆に「まれ」だからマスコミが紹介するのはないでしょうか。Only Oneのただの人はあまり日の目を見ないですから(笑)。
もう一つ、成功する実在にも分野とレベルがあることを加えておきましょう。分野とは成果メディアのことなので説明する必要はないでしょう。レベルについても難しくはないですね。例えば、真理の成果メディアの一種である「数学」を考えてみましょう。整数の足し算の方法(1+1の計算ができる)はレベルが低いですが、足し算の証明(1+1=2の証明)は無茶苦茶レベルが高く、足し算の方法は常識ですがその証明はとても常識とはいえません。ここで、レベルの高低とその分量の大小を考えてみましょう。これも難しくありませんね。小学生で習う算数の分野に比べ、中学校、高校の数学は分量が増え、さらに大学の数学科ではさらに分量が増えてゆきます。さらに、数学者が日々研究することで新しい数学の分野も付け加わりつつあります。このことから、レベルが低いことは全体から見ると少量であることが分かります。確率的にいえば、全体から見るとレベルの低い実在は「まれ」ということになります。
以上のことを踏まえて、世の中が回っていること分析すると「世の中を回すにはレベルの低い実在に対するコミュニケーションさえ成立すれば良い」ということになるでしょうか。各成果メディアごとにレベルの低い「まれ」な事柄を集め、その「まれ」なことだけにコミュニケーションが成立し、世の中が回っていることになります。事実、義務教育は世の中が回ることを大きな目標として構成されています。高校の数学の知識がなくても何とか生きてゆけることは事実。だからこそ数学のない文系を選択できる訳ですね。
最後の気になることをもう一つ。「世の中が上手く回っている」と表現なされていますが、「上手く回っている」とは何を根拠にしておられるのでしょうか。私の感覚では「上手く」ではなく「とりあえず」とか「無理に」という表現が一致するのですが、如何でしょう。
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
第三者が入った場合の志向意識水準
四次志向意識水準で教えてもらったのは、「私は、あなたが○○と思っていると、私は思っていると、あなたが思っていると、私は思う」ですが、ここに第三者をいれて「私はあなたが○○と思っていると、私は思っていると、彼{第三者}が思っていると、私は思う」でも四次志向意識水準が成り立つのか。
T.Wさん
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コメントありがとうございます、T.Wさん
本題とは異なりますが、面白い質問なので取り上げました。第三者が入ることで入れ子構造ではなくなっている点をどう解釈するかが肝のような気がします。意味を変えずに文章を再構成してみると「私は、彼が○○と思っていると、私は思っていると、あなたが思っていると、思う」(あなた<->彼入れ替え)となり、入れ子の末端に第三者を持ってゆくことができます。こうなると、四次志向意識水準と言ってもおかしくないような気がします。が、正直なところどうなのか分かりません。専門家に聞いてみないと何とも言えないです。是非、ご自分で調べてみては如何でしょう。
担当教員より
T.Wさん
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コメントありがとうございます、T.Wさん
本題とは異なりますが、面白い質問なので取り上げました。第三者が入ることで入れ子構造ではなくなっている点をどう解釈するかが肝のような気がします。意味を変えずに文章を再構成してみると「私は、彼が○○と思っていると、私は思っていると、あなたが思っていると、思う」(あなた<->彼入れ替え)となり、入れ子の末端に第三者を持ってゆくことができます。こうなると、四次志向意識水準と言ってもおかしくないような気がします。が、正直なところどうなのか分かりません。専門家に聞いてみないと何とも言えないです。是非、ご自分で調べてみては如何でしょう。
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
完全にコミュニケーションを成立させる
相手の現実を想像することによりコミュニケーションは成立したことになるが完全に成立したわけではない。どうすれば完全にコミュニケーションを成立させることができるのか。
R.Yさん
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コメントありがとうございます、R.Yさん
誤解があるようなのでコメントしておきます。「完全なコミュニケーション」という概念を授業で示したことはないと思います。単なるコミュニケーションの成立については、成果メディアに対するコミットメントや現実-像を利用した人間独自の方法を説明いたしました。さらに、コミュニケーションが成立したからと言って意味内容が正確に伝達したことにはならない、ことも4月より変わることなく説明しているつもりです。あなたのおっしゃる完全なコミュニケーションと言うものが、意味内容の正確な伝達を示すものだとしたら、ご質問の答えは「絶対にありえない」ということになりますが、お答えになったでしょうか。
担当教員より
R.Yさん
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コメントありがとうございます、R.Yさん
誤解があるようなのでコメントしておきます。「完全なコミュニケーション」という概念を授業で示したことはないと思います。単なるコミュニケーションの成立については、成果メディアに対するコミットメントや現実-像を利用した人間独自の方法を説明いたしました。さらに、コミュニケーションが成立したからと言って意味内容が正確に伝達したことにはならない、ことも4月より変わることなく説明しているつもりです。あなたのおっしゃる完全なコミュニケーションと言うものが、意味内容の正確な伝達を示すものだとしたら、ご質問の答えは「絶対にありえない」ということになりますが、お答えになったでしょうか。
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
人間以外の動物のコミュニケーションは?
人間以外の動物はどうやってコミュニケーションをとっているのか又はコミュニケーションはとれないということなのか。
A.Fさん
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コメントありがとうございます、A.Fさん
コミュニケーションという言葉をどのように捉えるかによって答えが変わってくることと思います。以前にも説明した通り、日本語では明確な定義をしないまま言葉をつかうことが日常化しています。「コミュニケーション」という言葉もその一つで、何を持ってコミュニケーションと言うのかを知らない人が、コミュニケーション能力云々の話を平気でしているわけです。授業では、「社会情報の交換が持続的・継続的に行われている状態」のときコミュニケーションが成立したと判断される、とコミュニケーションの成立を定義しました。したがって、「社会情報の交換」がない場合はコミュニケーションとは言えないません。さらに社会情報とは人間だけが扱うことができる生命情報であると説明していますので、人間以外の生物が社会情報を使うことはできませんし、また使えるとしたらその情報は社会情報ではないことになります。以上より、人間以外の生物はコミュニケーションをとれないことになります。人間は志向姿勢が非常に強いので、他の生物があたかも人と同じようにコミュニケーションをとっているように思えてしまうだけなのです。集団的な行動をする人間以外の生物は多々おりますが、それらは生命情報により情報伝達をして集団行動をしていると思いますが、それをコミュニケーションとは呼ぶことはないのです(少なくとも情報学の中ではありえません)。もし、人間以外の生物で集団行動をとるもの、例えば蟻がコミュニケーションをとっているとすると、コミュニケーション能力をどのように解釈すればよいでしょうか。蟻にコミュニケーション能力があるという前提で、人にコミュニケーション能力を求めるとしたら、女王蟻への忠誠のようなことを求められることになりかねませんが、それをあなたは望みますか?
担当教員より
A.Fさん
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コメントありがとうございます、A.Fさん
コミュニケーションという言葉をどのように捉えるかによって答えが変わってくることと思います。以前にも説明した通り、日本語では明確な定義をしないまま言葉をつかうことが日常化しています。「コミュニケーション」という言葉もその一つで、何を持ってコミュニケーションと言うのかを知らない人が、コミュニケーション能力云々の話を平気でしているわけです。授業では、「社会情報の交換が持続的・継続的に行われている状態」のときコミュニケーションが成立したと判断される、とコミュニケーションの成立を定義しました。したがって、「社会情報の交換」がない場合はコミュニケーションとは言えないません。さらに社会情報とは人間だけが扱うことができる生命情報であると説明していますので、人間以外の生物が社会情報を使うことはできませんし、また使えるとしたらその情報は社会情報ではないことになります。以上より、人間以外の生物はコミュニケーションをとれないことになります。人間は志向姿勢が非常に強いので、他の生物があたかも人と同じようにコミュニケーションをとっているように思えてしまうだけなのです。集団的な行動をする人間以外の生物は多々おりますが、それらは生命情報により情報伝達をして集団行動をしていると思いますが、それをコミュニケーションとは呼ぶことはないのです(少なくとも情報学の中ではありえません)。もし、人間以外の生物で集団行動をとるもの、例えば蟻がコミュニケーションをとっているとすると、コミュニケーション能力をどのように解釈すればよいでしょうか。蟻にコミュニケーション能力があるという前提で、人にコミュニケーション能力を求めるとしたら、女王蟻への忠誠のようなことを求められることになりかねませんが、それをあなたは望みますか?
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
ナチスもコミュニケーションが成立していたのか
ナチスもユダヤ人を迫害する常識をお互いに持っていたということは、コミュニケーションが成立していたということなのか。
R.Yさん
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コメントありがとうございます、R.Yさん
答えは、Yesです。当時のドイツ国民では、ナチスによる成果メディアによるコミュニケーションが成立し、その拘束/制約により全てが実行されたと解釈できます。また、このように解釈しない限り国を上げての虐殺行為は行うことはできないと思われます。
担当教員より
R.Yさん
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コメントありがとうございます、R.Yさん
答えは、Yesです。当時のドイツ国民では、ナチスによる成果メディアによるコミュニケーションが成立し、その拘束/制約により全てが実行されたと解釈できます。また、このように解釈しない限り国を上げての虐殺行為は行うことはできないと思われます。
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
コミュニケーション能力と想像力は同じか?
コミュニケーション能力は想像力とあったけれど、コミュニケーション能力がない人は想像力がないということか。
W.Tさん
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コメントありがとうございます、W.Tさん
コミュニケーション能力=想像力なのか、という質問であると理解してお答えします。授業で説明した通り、コミュニケーション能力とは相手の現実を正確に想像する能力です。なので、想像力の中でうち現実-像を想像するものだけがコミュニケーション能力と重なることになります。逆に言うと、妄想や身勝手な空想に対する想像力が他人よりあってもコミュニケーション能力があるとは言えませんし、妄想や身勝手な空想に対する想像力がなくても、正確な現実-像を想像する力が他人より大きければコミュニケーション能力は高いことになります。ただ極論として全てに対する想像力がないと、現実-像を想像することもできませんので、コミュニケーション能力はないことになるでしょう。だから、人間以外にはコミュニケーション能力がない、と断言できることになります。
担当教員より
W.Tさん
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コメントありがとうございます、W.Tさん
コミュニケーション能力=想像力なのか、という質問であると理解してお答えします。授業で説明した通り、コミュニケーション能力とは相手の現実を正確に想像する能力です。なので、想像力の中でうち現実-像を想像するものだけがコミュニケーション能力と重なることになります。逆に言うと、妄想や身勝手な空想に対する想像力が他人よりあってもコミュニケーション能力があるとは言えませんし、妄想や身勝手な空想に対する想像力がなくても、正確な現実-像を想像する力が他人より大きければコミュニケーション能力は高いことになります。ただ極論として全てに対する想像力がないと、現実-像を想像することもできませんので、コミュニケーション能力はないことになるでしょう。だから、人間以外にはコミュニケーション能力がない、と断言できることになります。
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
コミュニケーション能力と常識
コミュニケーション能力の向上で、正確な現実-像とありますが、コミュニケーション能力が向上しないと常識がわからないもの何ですか。
H.Tさん
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コメントありがとうございます、H.Tさん
コミュニケーション能力の向上に常識が必要であるとの説明はしましたが、その逆をした記憶はありません。あるコミュニケーション内において、メンバーのより正確な現実-像を想像するために、そのコミュニケーションの常識が必要なのは確かです。例えば、マグロとカツオの違い(常識)が分からないとお鮨屋さんのコミュニケーションに参加できませんが、だからと言ってマグロとカツオの違いは認識するのにコミュニケーション能力が必要とは言えないでしょう。同じように1+1=2を理解するのにコミュニケーション能力が必要である、ということもありません。何か勘違いをなされているような気がします。
担当教員より
H.Tさん
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コメントありがとうございます、H.Tさん
コミュニケーション能力の向上に常識が必要であるとの説明はしましたが、その逆をした記憶はありません。あるコミュニケーション内において、メンバーのより正確な現実-像を想像するために、そのコミュニケーションの常識が必要なのは確かです。例えば、マグロとカツオの違い(常識)が分からないとお鮨屋さんのコミュニケーションに参加できませんが、だからと言ってマグロとカツオの違いは認識するのにコミュニケーション能力が必要とは言えないでしょう。同じように1+1=2を理解するのにコミュニケーション能力が必要である、ということもありません。何か勘違いをなされているような気がします。
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
帰納法的結論に異議有り
選択肢が複数あっても自由を感じないときはあるのか。
.さん
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コメントありがとうございます、.さん
なるほど、では反例を上げてください。ただ、疑問らしきものを出したとしても質問として成立しませんよ。この結論は心理学から導かれた帰納法的結論です。この命題に反する例が見当たらないので今のところ真実とされています。とすれば、具体的に「こんなときはどうなのか」ということが示されないと議論の対象にはなりません。是非、反例を上げて頂いて帰納法を崩してください。
なお、このコメント評価はAにはなりません。あしからず。
担当教員より
.さん
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コメントありがとうございます、.さん
なるほど、では反例を上げてください。ただ、疑問らしきものを出したとしても質問として成立しませんよ。この結論は心理学から導かれた帰納法的結論です。この命題に反する例が見当たらないので今のところ真実とされています。とすれば、具体的に「こんなときはどうなのか」ということが示されないと議論の対象にはなりません。是非、反例を上げて頂いて帰納法を崩してください。
なお、このコメント評価はAにはなりません。あしからず。
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
ランダムに共感できる!?
人間の数は多いので、現実は違くても誰かしらと同じ気持ちになることは多いのではないか。
H.Mさん
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コメントありがとうございます、H.Mさん
そんなに簡単ですかね。ホロコーストのときに、ユダヤ人と同じ気持ちになれたドイツ国民は多数だったのでしょうか?確かに絶対数を上げればかなりの数になったかも知れませんが、それは国民の何%だったのでしょう。授業で説明した通りナチスの得票数は40%を越えています。この数とユダヤ人と同じ気持ちになれたドイツ国民の数は同等だったのでしょうか。かなり疑問ですね。
ランダムに擬似的な共感が生まれることを全面的に否定するきはありませんが、その可能性はかなり低いと思います。むしろ、同じような状況や環境の中でこそ、擬似的な共感が生まれやすく、その結果として洗脳されやすくなると思います。ちなみに誰でも体験できる同じような状況としては、スポーツ観戦、映画、演劇などが上げられますね。「ありのままの 自分になるの〜」なんてみんなで歌いましたね(もう古い?)。
担当教員より
H.Mさん
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コメントありがとうございます、H.Mさん
そんなに簡単ですかね。ホロコーストのときに、ユダヤ人と同じ気持ちになれたドイツ国民は多数だったのでしょうか?確かに絶対数を上げればかなりの数になったかも知れませんが、それは国民の何%だったのでしょう。授業で説明した通りナチスの得票数は40%を越えています。この数とユダヤ人と同じ気持ちになれたドイツ国民の数は同等だったのでしょうか。かなり疑問ですね。
ランダムに擬似的な共感が生まれることを全面的に否定するきはありませんが、その可能性はかなり低いと思います。むしろ、同じような状況や環境の中でこそ、擬似的な共感が生まれやすく、その結果として洗脳されやすくなると思います。ちなみに誰でも体験できる同じような状況としては、スポーツ観戦、映画、演劇などが上げられますね。「ありのままの 自分になるの〜」なんてみんなで歌いましたね(もう古い?)。
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
現実や常識が違う人とは仲良くなれない?
現実や常識が違う人とは仲良くなれないということですか。
.さん
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コメントありがとうございます、.さん
どうも私の授業をきちんと聞いていらっしゃらないようですね。確かに、理論的には「現実や常識が違う人とは仲良くなれない」と説明しましたが、それでお終いにしていませんよ。この理論的な不可能な状況を打破して、僅かな可能性を引き出している人間の能力について授業時間を裂いていたのですが、まったくお聞きになってなられないようで残念です。
なお、このコメントの評価はAではありません。あしからず。
担当教員より
.さん
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コメントありがとうございます、.さん
どうも私の授業をきちんと聞いていらっしゃらないようですね。確かに、理論的には「現実や常識が違う人とは仲良くなれない」と説明しましたが、それでお終いにしていませんよ。この理論的な不可能な状況を打破して、僅かな可能性を引き出している人間の能力について授業時間を裂いていたのですが、まったくお聞きになってなられないようで残念です。
なお、このコメントの評価はAではありません。あしからず。
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
より良いコミュニケーションとは
より良いコミュニケーションとは何かわからなかった。確かにコミュニケーション能力は上がったとしてもそれがより良いコミュニケーションになるかはわからないことだと思いました。
.さん
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コメントありがとうございます、.さん
そうですね、多少説明不足だったですね。自分でスライドを見直して、アッ確かにそう書いてあると、再確認しました。より良いコミュニケーションと言うフレーズは、科目の目標である「より良い情報社会」から出てきたものです。ですので「より良い情報社会」を説明しないので、この言葉を使用するのは失敗ですね。さらに「より良い情報社会」を解説するには情報社会、もっと言えば社会を説明しておく必要ある訳です。実は、この話は3学期に行う予定です。その時に社会とコミュニケーションの関係を再定義しますので、それまでお待ちください。
とは言いましても、巷で騒がれているコミュニケーション能力の必要性はどこから出てきているのでしょうか。それは、会社などの組織から発せられています。会社などの組織も一種の社会ですので、コミュニケーション能力の向上は社会からの要求と考えるべきでしょう。とすればコミュニケーション能力は社会に何かしらのプラスを与えるものと考えられますので、社会をより良くするものであると推測することできるのではないでしょうか。そしてもう一つ、コミュニケーション能力が低い状態で、コミュニケーションが成立するでしょうか。コミュニケーション能力はコミュニケーションを成立させるために必要なものですから、コミュニケーション能力が低いとコミュニケーションは成立しないでしょう。とすると、私の説明は「コミュニケーション能力を高めて、より良いコミュニケーションにしよう」ではなくて「コミュニケーション能力を高めて、コミュニケーションの成立をより増やそう」とすべきだったことが分かりますね(来年は変えておきます)。
担当教員より
.さん
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コメントありがとうございます、.さん
そうですね、多少説明不足だったですね。自分でスライドを見直して、アッ確かにそう書いてあると、再確認しました。より良いコミュニケーションと言うフレーズは、科目の目標である「より良い情報社会」から出てきたものです。ですので「より良い情報社会」を説明しないので、この言葉を使用するのは失敗ですね。さらに「より良い情報社会」を解説するには情報社会、もっと言えば社会を説明しておく必要ある訳です。実は、この話は3学期に行う予定です。その時に社会とコミュニケーションの関係を再定義しますので、それまでお待ちください。
とは言いましても、巷で騒がれているコミュニケーション能力の必要性はどこから出てきているのでしょうか。それは、会社などの組織から発せられています。会社などの組織も一種の社会ですので、コミュニケーション能力の向上は社会からの要求と考えるべきでしょう。とすればコミュニケーション能力は社会に何かしらのプラスを与えるものと考えられますので、社会をより良くするものであると推測することできるのではないでしょうか。そしてもう一つ、コミュニケーション能力が低い状態で、コミュニケーションが成立するでしょうか。コミュニケーション能力はコミュニケーションを成立させるために必要なものですから、コミュニケーション能力が低いとコミュニケーションは成立しないでしょう。とすると、私の説明は「コミュニケーション能力を高めて、より良いコミュニケーションにしよう」ではなくて「コミュニケーション能力を高めて、コミュニケーションの成立をより増やそう」とすべきだったことが分かりますね(来年は変えておきます)。
担当教員より
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TadashiNakajima
- 記事: 2287
- 登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12
人間の進化と志向意識水準
原始人など昔の人は志向意識水準のどこまでいけるのか。人間の進化によって水準も上がってきたならこれから先も水準が上がることもあるのではないかと思いました。
.さん
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コメントありがとうございます、.さん
原始人とはどの程度昔の人を指しているのか不明ですが、昔のホモ・サピエンスも今のホモ・サピエンスも生物学的に同じですので、大きな能力差はないと思われます。ただ、人によっては今から3000年前を境に大きく変化したと考える人もいることも確かです。とにかく昔の事なので、昔と今で思考的な違いがあったかどうかは調べようにも調べ難いとは確かです。同じように、この先どうなるかも調べることはできません。ただ、ホモ・サピエンスのまま志向意識水準が上がることは難しいように思えます。確かに有史以来文明は進歩してきました、しかしながらコミュニケーションという観点からするとそれほど進歩していないように思えます。なぜなら、古代ギリシャの物語りをほぼ違和感なく受け入れることができるからです。また、歴史からも人類は同じようなことを繰り返していることも、理由にあげられるでしょう。生物の進化において、ホモ・サピエンスより志向意識水準の高い生物が現れることは否定できません。また、ホモ・サピエンスである我々がコンピュータと融合(サイボーグ化)し志向意識水準を上げるようなこともあるかも知れません。未来のことなので何がおこるかは分かりません。ただ、どちらのケースであったとしても、我々以上に志向意識水準を持ったものをホモ・サピエンスと呼べるか疑問です。新種の人間やサイボーグをホモ・サピエンスとは呼ばないような気がします。
担当教員より
.さん
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コメントありがとうございます、.さん
原始人とはどの程度昔の人を指しているのか不明ですが、昔のホモ・サピエンスも今のホモ・サピエンスも生物学的に同じですので、大きな能力差はないと思われます。ただ、人によっては今から3000年前を境に大きく変化したと考える人もいることも確かです。とにかく昔の事なので、昔と今で思考的な違いがあったかどうかは調べようにも調べ難いとは確かです。同じように、この先どうなるかも調べることはできません。ただ、ホモ・サピエンスのまま志向意識水準が上がることは難しいように思えます。確かに有史以来文明は進歩してきました、しかしながらコミュニケーションという観点からするとそれほど進歩していないように思えます。なぜなら、古代ギリシャの物語りをほぼ違和感なく受け入れることができるからです。また、歴史からも人類は同じようなことを繰り返していることも、理由にあげられるでしょう。生物の進化において、ホモ・サピエンスより志向意識水準の高い生物が現れることは否定できません。また、ホモ・サピエンスである我々がコンピュータと融合(サイボーグ化)し志向意識水準を上げるようなこともあるかも知れません。未来のことなので何がおこるかは分かりません。ただ、どちらのケースであったとしても、我々以上に志向意識水準を持ったものをホモ・サピエンスと呼べるか疑問です。新種の人間やサイボーグをホモ・サピエンスとは呼ばないような気がします。
担当教員より