この授業の疑問や質問(現実-像と客観性2020)

現実-像と客観性2020

モデレータ: TadashiNakajima

返信する
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

この授業の疑問や質問(現実-像と客観性2020)

投稿記事 by TadashiNakajima »

この授業の疑問や質問(現実-像と客観性2020)についてのスレッド
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

コミュニケーションが限りなく1つに近い場合

投稿記事 by TadashiNakajima »

 「心の倫理」を使い互いがそれぞれ独自に「現実ー像」を作り出し、そこにコミットメントする事でコミュニケーションを成立させていると、おっしゃいましたが、コミュニケーションが限りなく1つに近い、北朝鮮では、(テレビ局が一局しかないから)「キム委員長が神みたいな存在で、委員長を崇めなくてはならない」と、北朝鮮人は認識してると思います。それならば、脱獄者は出ないと思います。
 ヒトラーを例として挙げると、当時ヒトラーは、ドイツ人を思うがままに動かせて、ユダヤ人を殺しました。ヒトラーは神みたいな存在で、異論を出さぬ人など出なかったからです。繰り返しますが、限りなく1つに近いコミュニケーションの中で脱獄者は出ないと思います。
ですが、脱獄者はあとを立ちません。なぜですか?

Y.Kさん

===================================================

 コメント有難うございます、Y.Kさん。

 仮定にかなり無理がありますね。確かにマス・コミュニケーションや公的コミュニケーションをかなり絞り込むことは可能ですが、私的コミュニケーション(口コミなど)までを含んだ全てを絞り込むことはかなり難しいでしょう。北朝鮮では、中国と仕事上の関係していたり、短波ラジオ(密輸か自作)などを持っている人からの情報が口コミで流れています。また、ナチス統治下のドイツでも、一部の知識人にはヒトラーを信じない人もいました。これは戦時中の日本でも同じです。独裁的な為政者は、情報をコントロールすることで民衆をコントロールしようとします。が、今のところそれを完全にできた独裁者は存在しないということです。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

常識はない方がいい?

投稿記事 by TadashiNakajima »

 私たちは社会のために勉強し常識をつけなければいけません。そして世間では常識がないと「ありえない」など言われたり、見下されたりしてしまい、苦しむことがあります。このように世間の常識に悩み、自殺することがあるのなら、常識はない方がいいのでしょうか。授業では常識はない方が困らないと言っていましたが、社会に出た時きっと困ります。ですが、その常識によって苦しむ人もいます。どうすればいいのでしょうか。

Y.Tさん

===================================================

 コメント有難うございます、Y.Tさん。

 常識がないと言われて悩む人は「言われたことを常識と認識している」と考えています。だから、悩むのではないでしょうか。従って、その人は「常識がない」訳ではありません。本当に常識がない人は悩むことさえもしません
 常識がないとコミュニケーションが成立しないので社会が成立しません。よって、「常識がない方が良い」という判断は絶対にありません。求められた常識に合理性があるのならば、苦しむのではなく積極的に身につけるべきなのではないでしょうか。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

心理テストを受けてみたい!

投稿記事 by TadashiNakajima »

・現在のAIは、Aさんの生活を指示(提案)することができるのですが、将来AIが、Aさんの現実を完璧に理解し、他人に伝えることはできるのでしょうか?
・志向意識水準で、心理テストのお話をされていましたが、「受けてみたい」「人気の作家さんは、どんな回答をするのか」と思い、調べてみましたが、残念ながら出てきませんでした。もし知っていることがあれば、教えていただきたいです!

M.Fさん

===================================================

 コメント有難うございます、M.Fさん。

 2番目の質問にお答えします。「心の理論」、「自閉症」、「テスト」などをキーワードで検索すると出てきます。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

客観性とは

投稿記事 by TadashiNakajima »

 客観的という言葉はだれが見てももっともだと思われる立場で物事を考えるさまといういみだそうです。しかし今回の授業で客観的とは共通の常識と認識されるとそれが客観的になると習いました。つまり共通の常識と認識されないと客観的と言えないということ(しかもそれは疑似的なもの)ですよね。これでは同じ客観的という言葉でも意味が違ってしまいます。なぜ違いが生じるのですか。

S.Aさん

===================================================

 コメント有難うございます、S.Aさん。

 「だれが見てももっともだと思われる」とありますが、この時点で客観は主観であることが明らかになっています。何故なら、思うことは主観だからです。客観は主観に基づいていますので、それは疑似的です。1学期に説明した通り、客観世界の存在は誰にも確認できませんから、客観的なものは一つもありません。主観的に客観性があると信じているに過ぎません。ちなみに、客観に限らず、情報やコミュニケーションなどを正しく理解していないのは日本人の特性ですね。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

コミュニケーションのタイプによる影響の割合

投稿記事 by TadashiNakajima »

 コミュニケーションのタイプによる影響は私的コミュニケーション<公的コミュニケーション<マス・コミュニケーション<インターネットによるコミュニケーションの順で大きくなると授業で行っていましたが割合などはどのくらいか気になりました。調べましたがそのような物が出てこなかったので誰も調べていないのか、調べても分からなかったのか、どちらなのか知りたいです。

A.Tさん

===================================================

 コメント有難うございます、A.Tさん。

 割合ですか…誰も調べていないことは確かです。コミュニケーションの影響は、人によって異なり、調べようとしても基準を何にするかさえも見つからないのだと思います。もし、良い方法を見つけたら有名な学者にかも知れませんよ。考えてみてください。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

共通の常識がないので、挨拶をしなくても良い?

投稿記事 by TadashiNakajima »

 常識とは普通にどこでも使われている言葉ですが、 すれ違った人に挨拶をするなどありますが、学校内で授業を受けたことも関わりのない先生がすれ違いコミュニケーションをとっていない場合には共通の常識がないので、その場合というのは挨拶をしなくても良いということですか。その先生が仮に挨拶をするのが常識と言った場合,それは常識とは言わないですか。

M.Yさん

===================================================

 コメント有難うございます、M.Yさん。

 常識とはコミュニケーションにおける共通のマインドコントロールのことで、あくまでもコミュニケーションの参加する多数間の話であり個人間ではありません。つまり、特定の教員と特定の生徒の間に常識なるものは存在しません。その教員が所属しているコミュニケーション(社会と捉えても良いでしょう)の常識として挨拶があるのなら、挨拶することは常識です。同じコミュニケーションに生徒が所属しているならば、挨拶しないのは非常識になります。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

潜在化しているコミュニケーションからの拘束/制約から逃れることは可能?

投稿記事 by TadashiNakajima »

・「コミュニケーションからの過剰な拘束から逃れる方法」という入力課題について、コミュニケーションからの拘束/制約はほとんどが潜在化されているので、もしコミュニケーションからの拘束/制約から逃れようとしても、自分が意識できる拘束/制約からしか逃れることが出来ず、必要か不必要かまでの判断は出来ないのではないかと思った

K.Fさん

===================================================

 コメント有難うございます、K.Fさん。

 仰る通り。だから、潜在化している拘束/制約を意識化する必要があるのです。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

答えのないテストで先生が丸をつけるのならば、先生に拘束されざるを得なくなる

投稿記事 by TadashiNakajima »

 コミニケーションから拘束されないようにするためには自分の意見を持ち、それだけが正しいという考えを持たないことだと思うのですが、答えのないテストで、先生が丸をつけるのならば全て先生の意見になってしまい、拘束されざるを得ないと感じたのですが、どうですか。

Y.Kさん

===================================================

 コメント有難うございます、Y.Kさん。

 なかなか挑戦的でいいですね。頼もしく、そして嬉しく思います。今後も、この調子で批判的に授業に臨んでください。
 さて、ご質問のポイントは評価基準になると思います。答えのない、または複数の答えが存在するテストにおいて、もし内容(意見)を評価基準とすると、あなたの仰る通りになるでしょう。逆に、内容を評価基準にしなければ、心配なさるようなことは起きません。論理性や合理性があれば、たとえ教員の考え違ったとしても、OKになることでしょう。コミュニケーションの成立には同意は必ずしも必要ではありません。したがって、必ずしも教員と同じ考えになる必要はありません。他の教員は知りませんが、私は常にそう考えています。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

SNSでコミュニケーション能力を高める

投稿記事 by TadashiNakajima »

 今回の授業であった、コミュニケーションを高める方法はそれを実体験したり、することだと言っていましたが、その経験方法の一種として、SNSなどを利用したとしても、それはコミュニケーション能力を高める方法としてありでしょうか?

Y.Yさん

===================================================

 コメント有難うございます、Y.Yさん。

 SNSはコミュニケーションツールでコミュニケーションの為にありますから、それを使うことによってコミュニケーション能力は高まるはずです。ただ、問題なのはインターネットによるコミュニケーションとして使わないと意味がありません。具体的にいうと、参加する人数がダンバー数程度では宝の持ち腐れです。世界中を相手に数万人とコミュニケーションしてください。まちがいなくコミュニケーション能力は高まることでしょう。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

現実‐像にコミットメントしているかを判断するのも観察者?

投稿記事 by TadashiNakajima »

 コミュニケーションの成立は、観察者から見てメッセージ交換が持続的に行われている必要があるということは、互いに作り出した現実‐像にそれぞれがコミットメントしているかを判断するのも観察者ということで良いのですか?

H.Yさん

===================================================

 コメント有難うございます、H.Yさん。

 えーと、違いますね。観察者はメッセージ交換とその後の状況だけを見ています。現実-像は心の中の想像なので、外部から観察することはできません。したがって、そこにコミットメントしたかどうかも観察できません。コミュニケーションが成立したことから「現実-像にコミットしたのだろう」と推論することは可能ですが、観察することはできません。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

「現実-像」の「実」と「像」の間に「-」があるのは何故?

投稿記事 by TadashiNakajima »

 相手の現実像を想像することによってコミュニケーションが成り立つと言っていましたが初対面の人でもコミュニケーションが成り立つのは何でですか?それと、どうして「現実像」の「実」と「像」の間に「-」があるのですか?

M.Tさん

===================================================

 コメント有難うございます、M.Tさん。

 固有名詞にするためです。普通に「現実像」とすると、現と実と像が偶然に並んだかのように捉えられてしまう恐れがあります。また現:実像なのか現実:像なのかも明確ではありません。そこで「現実-像」とすることで、情報学の用語であることと、それが「現実を想像したもの」であることを明示しています。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

疑似客観世界

投稿記事 by TadashiNakajima »

 疑似客観世界は客観世界を主観的にとらえたものならば現実像に客観性が伴ったものは疑似客観世界とは言えないことになります。以上のことから疑似客観世界の定義がわからなくなりました。

A.Bさん

===================================================

 コメント有難うございます、A.Bさん。

 だいぶ混乱しておられるようですね。「疑似客観世界は客観世界を主観的にとらえたものならば」→「現実像に客観性が伴ったものは疑似客観世界とは言えない」という論理展開がかなり異様に感じます。客観世界の存在は確認できませんので疑似客観世界はどこまで行っても主観です。また現実像は主観です。その主観としての現実像に主観としての客観性が伴ったものが疑似客観世界です。どこが問題なのでしょうか。試しにコメントを整理して文字数を減らすと「疑似客観世界は主観的」→「現実-像(客観性を伴った主観)は疑似客観世界」となり、どちらも主観=疑似客観世界となるので問題は見当たりません。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

よりよいコミュニケーション?

投稿記事 by TadashiNakajima »

 現実像を構築し、よりよいコミュニケーションを考えなくてはならないということについて、よりよいコミュニケーションとは具体的にどのようなものがあるのか疑問に思った。

T.Sさん

===================================================

 コメント有難うございます、T.Sさん。

 コミュニケーションの成立は「疑似的な相互理解」によって判断されます。問題なのは、どの程度の「疑似的な相互理解」があったかどうかです。「疑似的な相互理解」が0の場合はコミュニケーション不成立ですが、逆に少しでもあれば成立です。仮に相互理解できることが10あったとして、コミュニケーションAの結果としての「疑似的な相互理解」が5に対して、コミュニケーションBでは8だったとすると、Bの方がより良いコミュニケーションであったことになるでしょう。「じゃあ、具体的にはどうするのか」になりますが、残念ながらその解答はありません。もし、その答えを持っているのならば、最初からその方法をお教えします。そして、その方法を使えば、告白して振られることは無くなる…筈。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
TadashiNakajima
記事: 2287
登録日時: 2017年9月07日(木) 10:12

日本人は同調圧力に弱い?

投稿記事 by TadashiNakajima »

 自分もだがなぜ(特に)日本人は同調圧力に逆らえないのか?
 自分の考え、自分よりも地位の高い人に逆らうとどんな目に合うかわからないから。

T.Hさん

===================================================

 コメント有難うございます、T.Hさん。

 日本人は同調圧力に弱いのは何故でしょうね。おそらく、そこには文化的な背景があるとは思うのですが、その明確な原因は知りません(おそらく誰も知らない)。ちなみに、アメリカ人にも同調圧力が掛かることが実験で証明されています。この実験はソロモン・アッシュという米国の心理学者が行ったもので、間違いを叫ぶサクラが存在することで、どれだけの人が同調するかを調べました。その結果、約3分の1の人がサクラに同調することが解りました。つまり、アメリカ人の3分の1は同調圧力に負けてしまうのです。

 これからも面白いコメントをお待ちしています。

担当教員より
返信する

“現実-像と客観性2020”に戻る